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六代水野半次郎と民藝

 東京の大学に進み、一度は弁護士を志したものの、第二次世界大戦終戦直後の大きな需要に対応するため、瀬戸に戻りました。しかし特需が落ち着いてきた1955年頃より、生活用具の材質は、やきものや漆器からアルミやプラスチックへと変わっていきました。これまでと同じものをつくり続けていては立ちゆかなくなると、半次郎が不安に思っていた時に頼りにしたのが、学生時代に読んでいた白樺であり、柳宗悦であり民藝でした。

 1958年春に、日本民藝館から近藤京嗣氏、鈴木繁雄氏ら三名が瀬戸本業窯を訪れました。その二カ月後には半次郎が東京・駒場の日本民藝館を訪問し、柳宗悦氏や濱田庄司氏と面会を果たすことができました。

 これを機に大きな鉢や甕から、飯茶碗や皿など日常の食器へと舵を切りながら、瀬戸の伝統的なものづくりを続けていこうと決意をあらたにしました。

 またこの頃、瀬戸や美濃(岐阜県)の器の魅力に気付き、蒐集すると同時に自らも作品をつくり、発表するようになりました。

 やきものづくりの世界も高度経済成長、輸出不況、バブル経済、そして生活様式の変化に大きく左右されてきました。しかし、素材から焼成に至るものづくりに対する六代半次郎の姿勢は、いずれの時代も一貫して変わることがありませんでした。

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1964年に瀬戸本業窯を訪れた、バーナード・リーチ(左)と濱田庄司(中)。右は六代水野半次郎。